中国共産党は2021年7月で創立百周年。創設者の一人で、中華人民共和国の成立を宣言した毛沢東(1893-1976年)は20世紀の「政治的巨人」だ。毛沢東をつぶさに分析した本書は、彼の遺産を引き継ぐ今の中国を理解するうえで役立つ。
政治家は「富士山」に喩えられる
「政治家は富士山に似ている」――。日本の政界で、よく知られている成句だ。富士山は遠くから眺めれば美しいが、近くに行くと岩がゴロゴロしているなど必ずしも綺麗ではない。政治家も間近で接すれば、いろいろと欠点も見えてくるという喩(たと)えである。
毛沢東はヒトラー、スターリンと並ぶ20世紀最悪の独裁者の一人との見方がある。半面、「彼の熱烈な崇拝者と現代中国の公式的見解によれば、彼はマルクス主義を創造的に発展させた偉大な思想家であり、何よりも中国を解放し、アメリカやソ連にも対抗した比類なき民族的英雄となる」
著者、中兼和津次(なかがね・かつじ)氏は1942年北海道生まれで、東京大学名誉教授(経済学博士)。中国経済の研究者として知られる。今回、毛沢東について論じる本書の主な狙いについてこう解き明かす。
「好き嫌いは別にして、もっと客観的に、また十分に距離を置いて、毛沢東という人物はいったいなぜ、またどのような行動をとったのか、彼の行動の根本を決める主旋律、思想の根幹は何か、そこにいかなる問題が内在していたのか、彼は現代中国に何を遺したのか、さらにもっと大きな問題として、大躍進や文化大革命に象徴されるようなすさまじい惨禍と犠牲を伴いつつも、なぜ彼が中国を統治し続けられたのか、などなど、彼の行動、政策にまつわるさまざまな問題を少々常識論的に、しかしできるだけ論理的に考え、説明してみよう」
「生々しい現実」も客観的に描く
著者は「とくに感情的に中国を見る風潮が昨今わが国では強いだけに、(反証可能な、ないしは仮説的に、という意味で)『科学的に』」毛沢東と現代中国の双方を捉え直すことが必要だと強調する。
本書は『毛沢東選集』所収の「矛盾論」と「実践論」をはじめ中国共産党、中国政府の公式文書や中国語文献、日本語文献、英語文献、地下出版物も含めて幅広く渉猟し、毛沢東の思想や行動を客観的、科学的に分析しているところに特色がある。
中国国内で出版される『毛沢東伝』や『周恩来伝』などは「理想的指導者像、いわば表の顔を描いているだけで、裏の顔は書かないか、書けないのである」。中国共産党の公式見解は「モデル(理想像)」が多く、「マドル(生々しい現実)」が語られることはまずない。
本書では、公式見解では伏せられている「生々しい現実」にも光を当てる。いわば広角、標準、望遠、接写など各種レンズを使い分けるような手法で、多面的性格を持つ“政治的巨峰”の実像と細部を描写している。
自画像は「マルクス+秦の始皇帝」
毛沢東は「単なる政治家ではなく、軍事戦略家であり、思想家であり、詩人でもあった」。本人は「自ら『マルクス+秦の始皇帝』と称した」という。
「秦の始皇帝の権力(政治的権力)と併せてマルクスの権威(思想的権威)を持とうとしていたし、前者は後者によって補強されていたのではないか。その上、秦の始皇帝そっくりの専制・暴力論と、マルクスの暴力革命論に由来する暴力肯定のイデオロギー、この二つを彼は併せ持っていたのではないか」。これが著者の仮説である。
「科学的社会主義」の創始者で、ドイツの経済学者、哲学者、革命家でもあったカール・マルクス(1818-83年)は『共産党宣言』や『資本論』などを著した。読書家だった毛沢東はマルクスの著作を「中国語訳を通して」読んだ。
著者は毛沢東が革命勢力としての農民を「発見」したとも指摘する。しかし、「階級闘争を旗印に社会を分断させ、批判的な集団や個人を徹底的に弾圧し、異論を唱える同志たちを次から次へと迫害・粛清するとなると、これはマルクス主義の新たな発見、創造、それに対する貢献というよりも、むしろ残酷な悪用というべきである」と断じる。
大躍進、文革の二大惨劇を発動
中国は毛沢東時代、二大惨劇が社会を激しく揺るがした。1958年からの「大躍進」と、1966年から10年間続いた「文化大革命(正式にはプロレタリア文化大革命)」である。
「二つとも毛沢東自らが発動し、全国(民)を巻き込み、国家と社会、それに経済を破滅の危機に陥れ、そして歴史的に見て名状しがたい悲惨な結末を迎えた点で共通している」
大躍進時代には大飢饉が起こり、数千万人ともいわれる餓死者を出した。文化大革命は「死者数から見れば大躍進期の非正常死に及ばない」ものの、「『階級闘争』の名のもとに告発から迫害へ、それが拷問に、さらには処刑・惨殺へと展開していった」のである。
こうした異常事態が続いたにもかかわらず、「中国は崩壊せず、共産党政権は微動だにせず、最高責任者毛沢東も失脚することはなかった。なぜだろうか?」と著者は問う。
マルクス教「毛沢東派」の教祖
中国が毛沢東時代、「体制の安定性」を保ち続けた要因はいろいろと考えられる。著者は先ず、毛沢東が軍隊を掌握していたことを「重要な要因」に挙げる。
「鉄砲から政権が生まれる」、「政権とは何か、力とは何か、権力とは何か、ほかでもなく軍隊である」……。毛沢東の有名な語録で、本書でも引用されている。
だが、毛沢東が統治を続けられた「最も根底にあった要因」は、“神化”という「宗教的要因」だとの仮説を展開する。「神=教祖」である毛沢東には「誰一人として真正面から反抗しなかったし、できなかった、ないしはしようと考えもしなかった」という。
なぜなら、この革命家は強烈なカリスマ性を帯びていたからだ。毛沢東は1927年、中国の湖南・江西両省の境にある井岡山(せいこうざん)に革命の根拠地を建設、ここに立てこもり、包囲する強大な国民党軍を四度も撃退した。戦後の国共内戦でも国民党軍を打ち破った。
こうした解放闘争史における比類ない実績に加えて「他の指導者にはない歴史に対する広汎な知識、哲学的素養、それに伝統的中国知識人(読書人)には不可欠な能力である作詩力を持っていた」。しかも弁舌が立つ。「毛沢東教あるいはマルクス教毛沢東派」の教祖とも擬せられる所以だ。
「毛沢東時代、真理は天から降ってきた。神、またはその代理である教祖たる毛沢東は唯一の真理を語る絶対的存在であり、それを疑うのは『不敬』となる」。因みに本書の表紙にある副題は「真理は天から降ってくる」である。
魯迅、周恩来との微妙な関係
本書は「はじめに」と10章に続く「終章」で構成されている。このうち第2章「毛沢東と魯迅」と第9章「毛沢東と周恩来」の内容は極めて人間臭い。作家の魯迅(本名周樹人、1881-1936年)、新中国の初代総理となった周恩来(1898-1976年)とも日本留学組で、この二人と毛沢東との関係は極めて微妙だった。
中国共産党が魯迅を「聖人」に祭り上げて陣営に引き込んだことはよく知られている。著者によると、毛沢東は魯迅を「革命のための『道具』」とみていたという。一方、魯迅は革命のためでも「人を殺すことはどんなことがあってもよくない」と考えていた。
魯迅と毛沢東は生涯、直接会うことはなかったが、著者はこう推察する。「極端なことをいえば、文学者魯迅が建国後も生き残っていれば、政治家毛に殺されていたかもしれない」
「よく毛沢東は厳父だったのに対して、周恩来は慈母だったといわれる」。革命第一世代の二人の英雄は建国の父、母とも呼ばれたが、その関係には曲折があった。
日本に続いてフランスにも留学した周恩来は毛沢東より5歳下だが、二人が1926年に最初に会った当時は中国共産党内で格上だった。ところが、党幹部の思想改造運動である「整風運動」が1942年から抗日・解放運動の本拠地、陝西省の延安で実施され、立場が逆転した。
「この整風運動の結果、周恩来が毛沢東に服従する関係が決定的になり、基本的には死ぬまで続いていくことになった」
著者の周恩来に対する評価は「遠くから彼を見れば見るほど、彼は優しい母親のイメージを醸し出す。逆に、近くにいて実物の彼を見ていた人ほど、もちろん彼に救われた人を別にして、非情な政治家に見えたのではなかろうか」。まるで日本政界の“富士山の比喩”のようだ。
「いずれにせよ、毛沢東ばかりではなく、周恩来という、大衆に絶大な信望のあった政治家についても、そのモデル(理想像)と併せマドル(汚い現実)を見る必要があるだろう。社会主義中国の、これまで多分に脚色されてきた歴史像をもっと現実に近づけるために、そうした作業は不可欠である」
英雄の女性観、日本の“反面教師”
「女性は天の半分を支えている(婦女能頂半辺天)」。男女平等を象徴する毛沢東の名言とされている。第10章「毛沢東をめぐる女性たち」では、建国の英雄の婚姻や女性遍歴にも触れているが、著者は「女性を手段として見ていた」との仮説を提示する。その典型例として大躍進時代の公共食堂を挙げる。
「女性を家事労働から解放するという建前で全国の人民公社に公共食堂を作ったが、その大きな狙いは労働力の『解放』にあって、家庭内で毎日三食の食事に関わってきた女性の労働力を農業生産に、あるいは一部は鉄作り運動に投入するためだった」
「建前、ないしは理念・モデルとして女性解放といいつつも、実態としては大して『解放』していなかったし、現在もしていないのである」
本書では、男女平等の度合いを示す2020年の「ジェンダー・ギャップ指数」(GGI)を紹介している。中国は世界153カ国中106位。「残念ながら毛沢東時代にかんするGGIの国際比較はないが、基本的に現在と大きく変わっているようには思えない。『社会主義体制』が女性を解放する必要条件ではないことはこのことからも分かる」と解説する。
日本の順位は中国より下の121位で、主要7カ国(G7)で最下位だ。「反面教師」という言葉はかつて毛沢東が演説で使ったとされるが、GGIでは日本こそ中国を反面教師にした方がいいかもしれない。
「幽霊がまだ中国に漂っている」
毛沢東が1976年に天上の「赤い星」となった後、中国は1978年、改革開放路線に舵(かじ)を切った。鄧小平が主導して社会主義市場経済を推進、1989年の天安門事件を経ながらも高度経済成長を続け、2010年には日本を抜いて世界第2の経済大国へと躍り出た。
もはや「毛沢東思想」などは死語になったような印象があるが、どっこい、そういうふうにはなっていない。著者は、『毛沢東と中国――ある知識人による中華人民共和国史』などを上梓した銭理群・元北京大学教授の「毛沢東が逝った後、彼の幽霊がまだ中国の大地に漂っていて、中国社会の発展に影響を与えている」との見解を引用したうえで、こう論じる。
「現代中国の実像を見れば見るほど、『毛の幽霊』が中国に漂っているだけではなく、しっかり社会と政治の統治原理として中国の大地に根付いてしまっていることに気づく。その意味で、彼の影響は今に至るも巨大なものがある」
今日の中国について著書は、かつてのような社会主義イデオロギーは消えてしまったとしながらも「社会主義を共産党支配と同一視し、毛沢東神話が依然として残り、強権による安定を是とする考えは変わっていない」と看破する。
「ミニ毛沢東」目指す習国家主席
「中華民族の偉大な復興」を唱える習近平国家主席は「『毛沢東思想』ならぬ『習近平思想』を持ち出し、毛沢東崇拝を模した個人崇拝のための演出を行い、長期の絶対的権威を確立しようと考えているようである」。いわば「ミニ毛沢東」を目指している。
「中国は経済発展を武器に、また最近では新型コロナウイルスを制御できたと、自らの権威主義的独裁体制の『優位性』を大いに宣伝している」
確かに今の中国は経済的に豊かになり、人工知能(AI)やデジタル技術でも世界の最先端を行き、何でもあるように見える。しかし、「自由」はない。
「人権派弁護士がある日突然姿を消したり、チベットやウイグル地区におけるような少数民族を弾圧したりといった、マルクスや魯迅が知れば驚き、悲しむであろう異様な抑圧体制を見るにつけ、現代中国は毛沢東中国とその本質は変わっていないことが分かる。鄧とそのあとを継いだ今日の中国指導部は毛の遺産をしっかりと受け継いでいる。中国では昔も今も、真理は天から降ってくることに変わりはない」
多くの中国人は毛沢東を「偉大だ」と形容してきた。その偉大な指導者は1959年6月、「政策決定が間違っていたら、指導者は責任を負わなければならず、一方的に下の方に責任を押し付けることはできない。指導者は指導されるものに代わって責任を取る、これが部下の信任を得る一つの重要な条件だ」と訓示を垂れたという。
「しかし考えてみれば、毛は自らが引き起こした、たとえば大躍進や文革のような計り知れない惨禍に対して責任を取ることは決してなかった」
こうした毛沢東観察を踏まえ、著者はチャーチル元英国首相の含蓄ある警句で本書を締めくくっている。
「偉大さの代償は責任である(The price of greatness is responsibility)」
「毛沢東論」
中兼 和津次(著)
発行:名古屋大学出版会
四六判:438ページ
価格:3960円(税込み)
発行日:2021年4月30日
ISBN:978-4-8158-1023-8