【書評】偉大な政治家の責任とは:中兼和津次著『毛沢東論』 | nippon.com

中国共産党は2021年7月で創立百周年。創設者の一人で、中華人民共和国の成立を宣言した毛沢東(1893-1976年)は20世紀の「政治的巨人」だ。毛沢東をつぶさに分析した本書は、彼の遺産を引き継ぐ今の中国を理解するうえで役立つ。 政治家は「富士山」に喩えられる 「政治家は富士山に似ている」――。日本の政界で、よく知られている成句だ。富士山は遠くから眺めれば美しいが、近くに行くと岩がゴロゴロしているなど必ずしも綺麗ではない。政治家も間近で接すれば、いろいろと欠点も見えてくるという喩(たと)えである。 毛沢東はヒトラー、スターリンと並ぶ20世紀最悪の独裁者の一人との見方がある。半面、「彼の熱烈な崇拝者と現代中国の公式的見解によれば、彼はマルクス主義を創造的に発展させた偉大な思想家であり、何よりも中国を解放し、アメリカやソ連にも対抗した比類なき民族的英雄となる」 著者、中兼和津次(なかがね・かつじ)氏は1942年北海道生まれで、東京大学名誉教授(経済学博士)。中国経済の研究者として知られる。今回、毛沢東について論じる本書の主な狙いについてこう解き明かす。 「好き嫌いは別にして、もっと客観的に、また十分に距離を置いて、毛沢東という人物はいったいなぜ、またどのような行動をとったのか、彼の行動の根本を決める主旋律、思想の根幹は何か、そこにいかなる問題が内在していたのか、彼は現代中国に何を遺したのか、さらにもっと大きな問題として、大躍進や文化大革命に象徴されるようなすさまじい惨禍と犠牲を伴いつつも、なぜ彼が中国を統治し続けられたのか、などなど、彼の行動、政策にまつわるさまざまな問題を少々常識論的に、しかしできるだけ論理的に考え、説明してみよう」 「生々しい現実」も客観的に描く 著者は「とくに感情的に中国を見る風潮が昨今わが国では強いだけに、(反証可能な、ないしは仮説的に、という意味で)『科学的に』」毛沢東と現代中国の双方を捉え直すことが必要だと強調する。 本書は『毛沢東選集』所収の「矛盾論」と「実践論」をはじめ中国共産党、中国政府の公式文書や中国語文献、日本語文献、英語文献、地下出版物も含めて幅広く渉猟し、毛沢東の思想や行動を客観的、科学的に分析しているところに特色がある。 中国国内で出版される『毛沢東伝』や『周恩来伝』などは「理想的指導者像、いわば表の顔を描いているだけで、裏の顔は書かないか、書けないのである」。中国共産党の公式見解は「モデル(理想像)」が多く、「マドル(生々しい現実)」が語られることはまずない。 本書では、公式見解では伏せられている「生々しい現実」にも光を当てる。いわば広角、標準、望遠、接写など各種レンズを使い分けるような手法で、多面的性格を持つ“政治的巨峰”の実像と細部を描写している。 自画像は「マルクス+秦の始皇帝」 毛沢東は「単なる政治家ではなく、軍事戦略家であり、思想家であり、詩人でもあった」。本人は「自ら『マルクス+秦の始皇帝』と称した」という。 「秦の始皇帝の権力(政治的権力)と併せてマルクスの権威(思想的権威)を持とうとしていたし、前者は後者によって補強されていたのではないか。その上、秦の始皇帝そっくりの専制・暴力論と、マルクスの暴力革命論に由来する暴力肯定のイデオロギー、この二つを彼は併せ持っていたのではないか」。これが著者の仮説である。 「科学的社会主義」の創始者で、ドイツの経済学者、哲学者、革命家でもあったカール・マルクス(1818-83年)は『共産党宣言』や『資本論』などを著した。読書家だった毛沢東はマルクスの著作を「中国語訳を通して」読んだ。 著者は毛沢東が革命勢力としての農民を「発見」したとも指摘する。しかし、「階級闘争を旗印に社会を分断させ、批判的な集団や個人を徹底的に弾圧し、異論を唱える同志たちを次から次へと迫害・粛清するとなると、これはマルクス主義の新たな発見、創造、それに対する貢献というよりも、むしろ残酷な悪用というべきである」と断じる。 大躍進、文革の二大惨劇を発動 中国は毛沢東時代、二大惨劇が社会を激しく揺るがした。1958年からの「大躍進」と、1966年から10年間続いた「文化大革命(正式にはプロレタリア文化大革命)」である。 「二つとも毛沢東自らが発動し、全国(民)を巻き込み、国家と社会、それに経済を破滅の危機に陥れ、そして歴史的に見て名状しがたい悲惨な結末を迎えた点で共通している」 大躍進時代には大飢饉が起こり、数千万人ともいわれる餓死者を出した。文化大革命は「死者数から見れば大躍進期の非正常死に及ばない」ものの、「『階級闘争』の名のもとに告発から迫害へ、それが拷問に、さらには処刑・惨殺へと展開していった」のである。 こうした異常事態が続いたにもかかわらず、「中国は崩壊せず、共産党政権は微動だにせず、最高責任者毛沢東も失脚することはなかった。なぜだろうか?」と著者は問う。 マルクス教「毛沢東派」の教祖 中国が毛沢東時代、「体制の安定性」を保ち続けた要因はいろいろと考えられる。著者は先ず、毛沢東が軍隊を掌握していたことを「重要な要因」に挙げる。 「鉄砲から政権が生まれる」、「政権とは何か、力とは何か、権力とは何か、ほかでもなく軍隊である」……。毛沢東の有名な語録で、本書でも引用されている。 だが、毛沢東が統治を続けられた「最も根底にあった要因」は、“神化”という「宗教的要因」だとの仮説を展開する。「神=教祖」である毛沢東には「誰一人として真正面から反抗しなかったし、できなかった、ないしはしようと考えもしなかった」という。 なぜなら、この革命家は強烈なカリスマ性を帯びていたからだ。毛沢東は1927年、中国の湖南・江西両省の境にある井岡山(せいこうざん)に革命の根拠地を建設、ここに立てこもり、包囲する強大な国民党軍を四度も撃退した。戦後の国共内戦でも国民党軍を打ち破った。 こうした解放闘争史における比類ない実績に加えて「他の指導者にはない歴史に対する広汎な知識、哲学的素養、それに伝統的中国知識人(読書人)には不可欠な能力である作詩力を持っていた」。しかも弁舌が立つ。「毛沢東教あるいはマルクス教毛沢東派」の教祖とも擬せられる所以だ。 「毛沢東時代、真理は天から降ってきた。神、またはその代理である教祖たる毛沢東は唯一の真理を語る絶対的存在であり、それを疑うのは『不敬』となる」。因みに本書の表紙にある副題は「真理は天から降ってくる」である。 魯迅、周恩来との微妙な関係 本書は「はじめに」と10章に続く「終章」で構成されている。このうち第2章「毛沢東と魯迅」と第9章「毛沢東と周恩来」の内容は極めて人間臭い。作家の魯迅(本名周樹人、1881-1936年)、新中国の初代総理となった周恩来(1898-1976年)とも日本留学組で、この二人と毛沢東との関係は極めて微妙だった。 中国共産党が魯迅を「聖人」に祭り上げて陣営に引き込んだことはよく知られている。著者によると、毛沢東は魯迅を「革命のための『道具』」とみていたという。一方、魯迅は革命のためでも「人を殺すことはどんなことがあってもよくない」と考えていた。 魯迅と毛沢東は生涯、直接会うことはなかったが、著者はこう推察する。「極端なことをいえば、文学者魯迅が建国後も生き残っていれば、政治家毛に殺されていたかもしれない」 「よく毛沢東は厳父だったのに対して、周恩来は慈母だったといわれる」。革命第一世代の二人の英雄は建国の父、母とも呼ばれたが、その関係には曲折があった。 日本に続いてフランスにも留学した周恩来は毛沢東より5歳下だが、二人が1926年に最初に会った当時は中国共産党内で格上だった。ところが、党幹部の思想改造運動である「整風運動」が1942年から抗日・解放運動の本拠地、陝西省の延安で実施され、立場が逆転した。 「この整風運動の結果、周恩来が毛沢東に服従する関係が決定的になり、基本的には死ぬまで続いていくことになった」 著者の周恩来に対する評価は「遠くから彼を見れば見るほど、彼は優しい母親のイメージを醸し出す。逆に、近くにいて実物の彼を見ていた人ほど、もちろん彼に救われた人を別にして、非情な政治家に見えたのではなかろうか」。まるで日本政界の“富士山の比喩”のようだ。 「いずれにせよ、毛沢東ばかりではなく、周恩来という、大衆に絶大な信望のあった政治家についても、そのモデル(理想像)と併せマドル(汚い現実)を見る必要があるだろう。社会主義中国の、これまで多分に脚色されてきた歴史像をもっと現実に近づけるために、そうした作業は不可欠である」 英雄の女性観、日本の“反面教師” 「女性は天の半分を支えている(婦女能頂半辺天)」。男女平等を象徴する毛沢東の名言とされている。第10章「毛沢東をめぐる女性たち」では、建国の英雄の婚姻や女性遍歴にも触れているが、著者は「女性を手段として見ていた」との仮説を提示する。その典型例として大躍進時代の公共食堂を挙げる。 「女性を家事労働から解放するという建前で全国の人民公社に公共食堂を作ったが、その大きな狙いは労働力の『解放』にあって、家庭内で毎日三食の食事に関わってきた女性の労働力を農業生産に、あるいは一部は鉄作り運動に投入するためだった」 「建前、ないしは理念・モデルとして女性解放といいつつも、実態としては大して『解放』していなかったし、現在もしていないのである」 本書では、男女平等の度合いを示す2020年の「ジェンダー・ギャップ指数」(GGI)を紹介している。中国は世界153カ国中106位。「残念ながら毛沢東時代にかんするGGIの国際比較はないが、基本的に現在と大きく変わっているようには思えない。『社会主義体制』が女性を解放する必要条件ではないことはこのことからも分かる」と解説する。 日本の順位は中国より下の121位で、主要7カ国(G7)で最下位だ。「反面教師」という言葉はかつて毛沢東が演説で使ったとされるが、GGIでは日本こそ中国を反面教師にした方がいいかもしれない。 「幽霊がまだ中国に漂っている」 毛沢東が1976年に天上の「赤い星」となった後、中国は1978年、改革開放路線に舵(かじ)を切った。鄧小平が主導して社会主義市場経済を推進、1989年の天安門事件を経ながらも高度経済成長を続け、2010年には日本を抜いて世界第2の経済大国へと躍り出た。 もはや「毛沢東思想」などは死語になったような印象があるが、どっこい、そういうふうにはなっていない。著者は、『毛沢東と中国――ある知識人による中華人民共和国史』などを上梓した銭理群・元北京大学教授の「毛沢東が逝った後、彼の幽霊がまだ中国の大地に漂っていて、中国社会の発展に影響を与えている」との見解を引用したうえで、こう論じる。 「現代中国の実像を見れば見るほど、『毛の幽霊』が中国に漂っているだけではなく、しっかり社会と政治の統治原理として中国の大地に根付いてしまっていることに気づく。その意味で、彼の影響は今に至るも巨大なものがある」 今日の中国について著書は、かつてのような社会主義イデオロギーは消えてしまったとしながらも「社会主義を共産党支配と同一視し、毛沢東神話が依然として残り、強権による安定を是とする考えは変わっていない」と看破する。 「ミニ毛沢東」目指す習国家主席 「中華民族の偉大な復興」を唱える習近平国家主席は「『毛沢東思想』ならぬ『習近平思想』を持ち出し、毛沢東崇拝を模した個人崇拝のための演出を行い、長期の絶対的権威を確立しようと考えているようである」。いわば「ミニ毛沢東」を目指している。 「中国は経済発展を武器に、また最近では新型コロナウイルスを制御できたと、自らの権威主義的独裁体制の『優位性』を大いに宣伝している」 確かに今の中国は経済的に豊かになり、人工知能(AI)やデジタル技術でも世界の最先端を行き、何でもあるように見える。しかし、「自由」はない。 「人権派弁護士がある日突然姿を消したり、チベットやウイグル地区におけるような少数民族を弾圧したりといった、マルクスや魯迅が知れば驚き、悲しむであろう異様な抑圧体制を見るにつけ、現代中国は毛沢東中国とその本質は変わっていないことが分かる。鄧とそのあとを継いだ今日の中国指導部は毛の遺産をしっかりと受け継いでいる。中国では昔も今も、真理は天から降ってくることに変わりはない」 多くの中国人は毛沢東を「偉大だ」と形容してきた。その偉大な指導者は1959年6月、「政策決定が間違っていたら、指導者は責任を負わなければならず、一方的に下の方に責任を押し付けることはできない。指導者は指導されるものに代わって責任を取る、これが部下の信任を得る一つの重要な条件だ」と訓示を垂れたという。 「しかし考えてみれば、毛は自らが引き起こした、たとえば大躍進や文革のような計り知れない惨禍に対して責任を取ることは決してなかった」 こうした毛沢東観察を踏まえ、著者はチャーチル元英国首相の含蓄ある警句で本書を締めくくっている。 「偉大さの代償は責任である(The price of greatness is responsibility)」 「毛沢東論」 中兼 和津次(著)発行:名古屋大学出版会四六判:438ページ価格:3960円(税込み)発行日:2021年4月30日ISBN:978-4-8158-1023-8

前哨戦低調の仙台市長選 同じ政令市の名古屋、横浜に見劣り? | 河北新報オンラインニュース / ONLINE NEWS

2021年07月01日 06:00 仙台市長選のポスター掲示板。8区画用意されたが、立候補表明は2人にとどまる  任期満了に伴う仙台市長選(7月18日告示、8月1日投開票)は投票まで1カ月となった。立候補表明はともに無所属で、再選を目指す現職の郡和子氏(64)、新人で元衆院議員の加納三代氏(44)の2人。他に立候補の動きは見られない。各政党が事実上、郡氏に相乗りする構図に新型コロナウイルスの影響も重なり、前々回2013年以来の低調な前哨戦となっている。  新人4人が名乗りを上げ、国政与野党が激突した前回の構図は4年間で一変した。郡氏が就任後、各党と等距離を保ち、対立候補を支援した自民、公明との緊張関係が緩和。今回も政党に推薦を求めず「市民党」を掲げたことが大きい。 自民は今回も一時、対立候補の擁立を模索したが、作業は難航した。中堅市議が立候補に動いたものの、郡氏を評価する声が一部にあり、党市連は一枚岩になりきれず断念に追い込まれた。「知名度に勝る現職が優位」(ベテラン党市議)と戦意は高まらなかった。 新型コロナも現職に挑む新人の動きを阻んでいる面がある。集会を開くなど名前や政策を浸透させる典型的な活動が制約され、県と市独自の緊急事態宣言が解除されるまでは、街頭で訴えることもはばかられた。 断念した中堅市議は支援団体に「コロナ対応に集中すべきだ」と進言されたことを理由の一つに挙げた。コロナ禍の厳しい生活で、選挙モードになれない市民意識も背景にうかがえる。 別のベテラン市議は低調の原因に「そもそも論」を説く。政令市移行後、市議選が区割りになったことや衆院の小選挙区制の影響を挙げて「仙台市全体を考えられるような人材が育ちにくくなった」と解説する。 今回は中堅市議が断念を表明した翌日、前回出馬した加納氏が「無投票は郡氏の白紙委任になる」として、現職と一騎打ちの場合に限り挑戦すると記者会見で語った。戦後初の無投票は回避される可能性が高い。 ただ、同じ政令市で比べると、4月にあった名古屋市長選は現職に3新人が挑む構図だった。8月8日告示の横浜市長選には元閣僚や市議、元衆院議員ら複数が名乗りを上げている。 東北大大学院情報科学研究科の河村和徳准教授(政治学)は、仙台市長選の低調を「市長と市役所、議員の小さなユートピア(理想郷)が選挙を機能させていない」と分析。「市政課題を可視化し、未来への責任を問うのが選挙。長い目で見れば将来につけを回すことになる」と警鐘を鳴らす。
<社説>名古屋市が敗訴 表現の自由 公の場でも:東京新聞 TOKYO Web

<社説>名古屋市が敗訴 表現の自由 公の場でも:東京新聞 TOKYO Web

 公の場でも「表現の自由」を保障した判決だ。国際芸術祭「あいちトリエンナーレ2019」の実行委員会が名古屋市に負担金残額の支払いを求めた訴訟で、名古屋地裁は、市側全面敗訴の判決を言い渡した。河村たかし同市長が展示作品を問題視したのが発端だが、判決は「芸術活動を違法と軽々しく断言できない」として、市に未払いの負担金三千三百万円余の全額支払いを命じた。  愛知県美術館で開かれた「不自由展」では、慰安婦問題を象徴する「平和の少女像」や、昭和天皇の肖像を使った創作物を燃やす映像作品などが展示され、抗議が殺到した。実行委は、大村秀章愛知県知事が会長、河村市長が会長代行だったが、市長は展示内容に抗議して、会場で座り込みを行うなど激しく反発。市が、「不自由展」閉幕後に予定していた負担金残額の支払いを留保したため、実行委が提訴していた。  訴訟で市長や市は「市民に嫌悪を催させ、違法性が明らかな作品の展示を公金で援助することはできない」と訴えた。判決は「強い政治性を帯びた内容だった」としながらも、「違法」とまでは断定できないとした。さらに、表現の自由に関し「表現活動に反対意見があることは避けられない。芸術は多彩な解釈が可能で、斬新な手法を用いることもある。鑑賞者に不快感や嫌悪感を生じさせるのもやむを得ない」との認識を明確に示した。  また、公共施設で行われる政治性のある展示に公金を支出したとしても、「政治的な主張の後押しだと一義的に評価されるものではない」とも指摘した。公共的な事業や施設で、政治的なメッセージを持った芸術作品などの展示が敬遠されるケースが散見されることを考えると、意義深いメッセージと言えよう。  「不自由展」を巡っては、大村知事のリコール(解職請求)運動に発展し、河村市長も先頭に立って署名活動を応援したが、後に、大規模な署名の偽造などが発覚。逮捕者も出る事態になった。  何らかの表現行為に対して、自己の見解を披歴することには何の問題もないが、河村市長の一連の行動が行政の長にふさわしい冷静な振る舞いだったかといえば、疑問符がつく。控訴を検討しているようだが、訴訟費用も公金であり、慎重に判断してほしい。 
【日本100名城®】愛知県・名古屋城 | nippon.com

【日本100名城®】愛知県・名古屋城 | nippon.com

ニッポンの城 Guideto Japan 旅 歴史 2022.06.28 名古屋城は、関ケ原の戦いに勝利した徳川家康が、大阪の豊臣氏への備えとして築城した。巨大な天守、絢爛(けんらん)豪華な本丸御殿、広大な二之丸庭園などを備えた近代城郭の完成形といわれ、「尾張名古屋は城で持つ」とうたわれた。 愛知県・名古屋城 築城年:1610年 初代城主:徳川義直(とくがわ・よしなお) 主な見どころ:西南隅櫓(すみやぐら)、東南隅櫓、西北隅櫓、表二之門(以上、重要文化財)、必勝カヤの木(天然記念物)、本丸御殿(復元)など 料金:観覧料500円(大人) 所在地:名古屋市中区本丸1番1号 公式HPなど:特別史跡名古屋城 徳川幕府の威信をかけて築かれた近代城郭の完成形 名古屋城は、関ケ原の戦いに勝利した徳川家康が、かつて今川氏、織田氏が拠点とした那古野(なごや)城の跡地に大阪の豊臣方への備えとして築城を計画。築城工事には加藤清正(きよまさ)、福島正則(まさのり)など、豊臣家との関係が深い20人の西国大名が動員された。屋根の上に金鯱(きんしゃち)を飾った5層5階地下1階の巨大な天守、絢爛(けんらん)豪華な本丸御殿、広大な二之丸庭園、高い石垣と深い堀など、当時の築城技術の粋を集めて完成した名古屋城は、近代城郭の完成形といわれている。家康の9男である徳川義直が初代城主となり、徳川幕府の260年間を通じて、御三家筆頭・尾張徳川家の居城として栄えた。 19世紀の明治政府の支配下では、宮内省所管の名古屋離宮として、皇族の宿泊などに利用されるようになる。その後、1930年に名古屋市へと下賜され、城郭としての国宝第1号(旧国宝)に指定されたが、45年、第2次世界大戦中の名古屋大空襲で天守、本丸御殿などの主な建物が焼失した。本丸御殿の天井や壁、襖(ふすま)に描かれていた狩野派の絵師の手による障壁画は、別の場所に保管されていたため焼失を免れた。現在は、計1047面の本丸御殿障壁画が国の重要文化財に指定されている。一部は西の丸御蔵城宝館で公開されている。 天守は、1959年に市民の寄付などにより鉄骨鉄筋コンクリート造りで再建され、博物館として活用されていたが、設備の老朽化や耐震性の確保の問題から休館し、木造による復元に向けて調整が進められている。また2018年、本丸御殿の復元工事が完了して公開されている。 名古屋城本丸御殿(PIXTA) このスポットについてもっと詳しく 愛知県の城 一緒に楽しめる観光スポット バナー写真:名古屋城の大天守(PIXTA) 日本100名城一覧はこちら 城 名古屋市 愛知県 ニッポンの城 ...
7/10投開票の参院選…愛知選挙区の主要政党の新人候補ら 現職押しのけての議席獲得へ特色ある選挙戦展開 | 東海テレビNEWS

7/10投開票の参院選…愛知選挙区の主要政党の新人候補ら 現職押しのけての議席獲得へ特色ある選挙戦展開 | 東海テレビNEWS

 参議院選挙は7月10日が投開票日です。愛知選挙区の主要政党の新人候補らは、現職を押しのけて議席を獲得するため、特色ある選挙戦を展開しています。 日本維新の会の広沢一郎さん。国会議員の報酬カットや減税政策などを訴えています。日本維新の会・広沢一郎候補:「一番力を入れていますのは、身を切る改革と減税を核とした経済対策。増税に頼らない、色々な改革を国で訴えられる」 その戦いを全面支援するのが名古屋市の河村たかし市長です。河村名古屋市長:「今日はここにおる、品のええ方が広沢一郎、品の悪い方が河村たかしでございます」【動画で見る】7/10投開票の参院選…愛知選挙区の主要政党の新人候補ら 現職押しのけての議席獲得へ特色ある選挙戦展開 公務の合間を縫って応援演説したり、街頭で人集めに一役買ったりと、骨身を惜しみません。 日本維新の会・広沢一郎候補: 「そりゃやっぱり市長がいるといないとで、ある意味集客力が断然違うので、大変にありがたいです」広沢さんは、政治理念に共鳴して河村市長率いる「減税日本」に参加。県議を経て名古屋市の副市長を務めるなど、河村市長の右腕とも言える人物です。 日本維新の会・広沢一郎候補: 「師弟関係ですよ。師弟です、政治の師ですから」 「選挙モンスター」との異名をとる師匠と、二人三脚で初当選を狙います。 防衛費の増額に反対、憲法9条を活かした平和外交を訴える共産党の須山初美さんは、これが4度目の国政への挑戦です。共産党・須山初美候補:「今こそ9条の出番。この時にこの9条をみすみす手放そうとしているのが、日本維新の会、自公政権、そして国民民主党です。絶対に負けるわけにはいかないと思っています」 共産党の志位委員長: 「大激戦の愛知選挙区、須山初美さん。必ず国会に押し上げようじゃないですか」志位委員長がこれまでに2度応援に駆け付けるなど、党の大きな期待を背負います。 羽織るコートや選挙カー、それにスタッフの服などを黄色で揃えていますが、それにはある狙いが…。共産党・須山初美候補:「黄色はですね、私が元気が出る色。24年前に議席を持っていた八田ひろ子参議院議員も黄色でやっていたんですよね」 1998年に選挙区で当選した大先輩にあやかるための験担ぎ。縁起のいい黄色を身にまとい、選挙区での勝ち星獲得を目指します。  れいわ新選組が話題作りに催した「盆ダンスパーティー」で、ちょっと照れくさそうにしているのは、候補者の我喜屋宗司さんです。 れいわ新選組・我喜屋宗司候補: 「私、元介護職員なんですよ。だけれども、れいわ新選組・我喜屋宗司、辞めちゃったんです」選挙戦では、介護従事者の賃金アップを訴えています。れいわ新選組・我喜屋宗司候補:「介護職は全産業平均より年収が100万円以上も低いんです。このせいで私、妻と子供をこの介護の仕事だけでは養っていくことができなかったんです」 そんな我喜屋さんには、特に信頼できる選挙スタッフがいます。それが選挙カーのマイクを握る姉の久美さん。弟のため沖縄から駆け付けました。姉の久美さん:「投開票まで見守って(沖縄に)帰ります。バンザイできるように、できることは全部やりたいと思います」  社民党の塚崎海緒さんは、教育費の無償化などを訴えています。社民党・塚崎海緒候補:「コロナがありまして、本当に子供たち、若者たち、ママ友たち、大変な状況に今生活が追い込まれています」 選挙活動を盛り立てるキャラクターがありますが…。社民党・塚崎海緒候補:「子ども食堂に来ている子どもたちが書いてくれて。(Q.ハトにした理由は?)平和の象徴なのと、体型がずんぐりむっくりで似てるっていうのと」 小学生の子を持つ母親で、子ども食堂の運営に携わる塚崎さん。選挙戦を通じて子どもたちを取り巻く実情に光を当てたいとマイクを握ります。 NHK党は愛知選挙区に、改選数と同じ4人を擁立しました。NHK党の立花党首:「参議院選挙に勝って、NHKをぶっ壊〜す」  斎藤幸成さんは、不安のない社会をつくりたいと出馬しました。NHK党・斎藤幸成候補:「『正直者は馬鹿を見ない』とか『努力は報われる』とか。だからまあ、仲良くしようという政策です」  山下健次さんは、スクールカウンセラーを全ての学校に配置するなどとしています。NHK党・山下健次候補:「特にいじめられている子だったりとかに対して、新しい政界の選択肢を僕が増やしていきたい」  3年前に続いて出馬した末永友香梨さんは、今回もNHKのスクランブル放送実現を訴えます。NHK党・末永友香梨候補:「直ちにスクランブル放送を実現し、真の公共放送を確立する」  平岡真奈美さんは、シングルマザーとしての経験から、子育て世帯への支援を掲げました。NHK党・平岡真奈美候補:「出産・育児一時金の増額。安心して出産・子育てのできる社会にしていきたいと考えています」  改選数4の愛知選挙区には今回、主要政党の新人のほかにも、現職や諸派、無所属の新人が立候補しています。  参院選の投開票は7月10日です。
自民党県議が「国葬反対8割が隣の大陸」「同性婚なんて気持ち悪い」“統一教会的思想”で問題発言を続々! “地方神話”が崩壊危機 | Smart FLASH/スマフラ[光文社週刊誌]

自民党県議が「国葬反対8割が隣の大陸」「同性婚なんて気持ち悪い」“統一教会的思想”で問題発言を続々! “地方神話”が崩壊危機 | Smart FLASH/スマフラ[光文社週刊誌]

茂木敏充幹事長は旧統一教会と接点の調査をおこなったが、一部の議員名を公表しなかったことでも批判を浴びていた   「心よりお詫びを申し上げる。これからは、あのような発言はどんな場所でもしない」    10月4日、愛知県の自民党所属・渡辺昇県議(53)が平身低頭こう謝罪した。    渡辺県議は、ジェンダー平等を求める市民団体の事務局長が、同性婚の是非を問うたキューバの国民投票で、賛成が過半数を超えたという記事を引用した9月27日のSNS投稿に対して、「同性結婚なんて気持ち悪いことは大反対!」と、コメントしたことが明らかになっていた。   【関連記事:岸田首相「国葬をやるなんて、誰が言いだしたんだ」と嘆く! 国民の批判から逃げた“証拠文書”を入手】    この日、渡辺県議は県議会を訪問した市民団体の事務局長に直接謝罪。報道陣に対して「あの時点では本当にそういう気持ちがあったから、あんな書き込みをしてしまった。あのあといろいろ調べて、話も伺って、今では考えを変えた」と釈明している。    自民党所属の県議会議員でいうと、三重県の小林貴虎県議(48)が10月2日に自身のTwitterで、「国葬反対のSNS発信の8割が隣の大陸からだったという分析が出ているという」と、投稿したことも物議を醸している。    その後、小林県議は名古屋市内で10月2日に講演した高市早苗経済安全保障担当大臣が、「政府の調査結果」として発言した内容を引用したと主張した。また、報道陣に「隣の大陸」とは中国を示している、と説明している。    ちなみに小林県議は、9月27日に共産党三重県委員会が発表した調査結果で、世界平和統一家庭連合(旧統一教会)の関連団体との接点があったと発表した議員の一人だった。    それだけでなく、8月23日に立憲民主党がおこなった「旧統一教会被害対策本部」では、“教会2世”へのヒアリングのなかで「教会員でした」と名指しされており、旧統一教会との強い繋がりが指摘されている    政治部記者がこう話す。   「小林県議の投稿は、まさしく旧統一教会が掲げる“反共主義”に影響された内容でした。また、旧統一教会の関連団体・国際勝共連合が掲げる憲法改正の内容では、『家族保護の文言追加』を求めており、同性婚の法制化に強く反対しています。愛知県の渡辺県議の『同性婚気持ち悪い』発言などは、まさしく“統一教会的な思想”と合致しているんです」    自民党は9月8日、茂木敏充幹事長(66)が、所属国会議員の計179人が旧統一教会と接点があったと公表。その後に追加報告があったとして計180人としている。    自民党関係者がこう話す。   「うちの党の強さといえば、北から南まで47都道府県すべてにしっかりとした地方組織を持っていること。どこの県議会、市議会にも自民党会派があって、国政選挙の際には地方組織が連動して選挙活動をおこなってきた。こんな組織はポッと出の野党には絶対に作れないでしょう。    今回、統一教会問題では国会議員の調査が進んでいて、多くの議員の実名も上がっているが、党内ではそれと比べ物にならないくらい地方議員のほうに接点があると言われている。地方という“足元”から党への不信感が広がっていけば、組織の崩壊に繋がりかねない」    2023年4月には統一地方選挙が予定されている。国民の判断はいかに――。( SmartFLASH )
日本人が作った強制動員演劇「ほうせん花」、再上演 : 政治•社会 : hankyoreh japan

日本人が作った強制動員演劇「ほうせん花」、再上演 : 政治•社会 : hankyoreh japan

10~11日、名古屋市で…2003年初演 「名古屋三菱・朝鮮女子勤労挺身隊訴訟を支援する会」のメンバーたちと 「愛知・県民の手による平和を願う演劇の会」が主催 名古屋市公会堂舞台で行われた演劇「ほうせん花2022」のリハーサル=日帝強制動員市民の会提供//ハンギョレ新聞社 約20年前、名古屋で上演された朝鮮女子勤労挺身隊の強制動員の実状を描いた演劇「ほうせん花」が、再び日本の舞台に上がった。 日帝強制動員市民の会は8日、「今月10日~11日、名古屋市公会堂で、合唱演劇『ほうせん花2022 つなぐ記憶と継承』が3回上演される」と発表した。今回の公演は日本の市民団体「名古屋三菱・朝鮮女子勤労挺身隊訴訟を支援する会」(名古屋訴訟支援会)と「愛知・県民の手による平和を念願する演劇会」が共同で主催した。 出演陣32人は、名古屋訴訟支援会の高橋信代表など日本人と在日韓国人で構成された。被害者のヤン・クムドクさん(93)と「日帝強制動員市民の会」のイ・グゴン理事長も最後の公演の時にオンラインで出演。高橋はなさん(13)が77年前の「少女ヤンさん」役を演じるなど、13歳から86歳までのメンバーと一般市民が出演した。名古屋三菱・朝鮮女子勤労挺身隊訴訟を支援する会提供//ハンギョレ新聞社 演劇は朝鮮女子勤労挺身隊被害者たちの名誉回復と被害救済のため、日本政府と加害企業を相手に闘っている名古屋訴訟支援会の活動を記録したドキュメンタリー『名古屋のパボ(ばか)たち』をもとに、未来の世代に伝えたい話を中心に構成されている。名古屋訴訟支援会は1944年12月の東南海大震災の時に死亡した朝鮮人少女たちの追悼碑を三菱航空機製作所に建て、勤労挺身隊被害者に対する謝罪と補償を求める訴訟を起した。また、毎週金曜日、三菱重工業本社前で集会を開き、謝罪を求めている。2003年には「ほうせん花 朝鮮女子勤労挺身隊」というタイトルの演劇を公演し、朝鮮女子勤労挺身隊の実状を知らせた。 高橋信代表は「観客1500人を目標に、過去について知らない日本人に勤労挺身隊問題を伝ええるため、19年ぶりに再上演を企画した」と説明した。キム・ヨンヒ記者(お問い合わせ [email protected] )https://www.hani.co.kr/arti/area/honam/1058092.html韓国語原文入力:2022-09-0909:55 訳H.J ...
政治経済学部【公開講演会】2022 | 聖学院大学

政治経済学部【公開講演会】2022 | 聖学院大学

日程 2022年11月30日(水) 時間 各回とも 10:40~12:10 会場 聖学院大学チャペル/オンライン配信 ウクライナ侵攻から考える戦争と難民—和解/平和への道筋を求めて—【全3回】第2回:2022/11/30(水)国連、国際法から見た武力紛争、避難民と和平講師:広見正行 先生 ※当日、本学学生は対面開催、一般外部の方はオンライン・アーカイブ配信よりご参加いただけます ウクライナ侵攻から考える戦争と難民-和解/平和への道筋を求めてー *画像をクリックすると拡大版PDFが表示されます  聖学院大学政治経済学部では、2018年度よりさまざまな切り口から、時代の課題について問題提起をしながら、本学学生、市民の皆さんと共に学び、共に考える公開講演会を開催してまいりました。2022年度は、統一テーマを「戦争、難民、そして和解/平和」といたしました。2月24日に始まったロシアによるウクライナ侵攻は、わたしたちに、戦争と、戦争がもたらす帰結のひとつである難民という現実に対峙することを迫りました。  ロシアのウクライナ侵攻は「国際法違反」だと呼ばれますが、わたしたちは、その意味するところを正確に理解しているでしょうか?ウクライナに限らず、世界各地でさまざまな理由により、難民とならざるを得ない人びとがいます。しかし、日本は難民に「冷たい」国だといわれています。それはなぜでしょうか?そうしたなかにおいても、難民保護の新しいあり方が日本で生まれているといいます。  和解、平和に向けての道筋を見出すことは簡単ではありません。しかし、わたしたち一人ひとりがこの課題についてよく知り、それぞれに考えを持つことが、遠回りでもその道筋を探ることにつながります。多くの皆さまがこの営みに参加してくださることを願っております。 聖学院大学政治経済学部 学部長・教授 八木 規子 10/19 「難民鎖国」日本が直面する世界  ロシアのウクライナ侵攻を受け、日本政府はウクライナからの避難民の積極的な受け入れ姿勢をアピールしてきました。しかし、これまでの日本の難民認定数は年間数十人程度に過ぎません。数万人単位で受け入れる米国などと比較してあまりに少なく、「難民鎖国」と批判する専門家もいます。野党側は日本の難民認定は厳しすぎるとして、独立性の高い第三者委員会による認定などを定めた「国際標準」に合わせた新法案を提案してきました。 世界の難民や国内避難民は2022年5月までに1億人を超えました。過去10年間で倍増しており、世界人口の1%をはるかに超える「達成してはならなかった記録」(UNHCR)です。ウクライナ危機では600万人超が国外脱出。シリア、ミャンマー、アフガニスタン、アフリカ諸国などの出身者らも紛争や迫害のため母国を逃れ、日本を含む各国で保護を求めています。気候変動や紛争による難民の増加が予想される中、日本はどこへ向かうべきでしょうか。一人一人が真摯に考えることが求められています。 (コーディネーター) 政治経済学科長・教授 春木育美 講演会概要 日時:2022/10/19(水)  10:40-12:10 場所:聖学院大学チャペル 講師:和田浩明 氏(毎日新聞 記者) ★アーカイブ配信申込:11/8まで受付中*アーカイブ配信は11/9まで視聴可能です→申込フォーム ~講師プロフィール~ 1991年4月毎日新聞社入社。英文毎日編集部、サイバー編集部、外信部、大阪社会部を経て2003年10月から08年3月までワシントン特派員。無差別発砲事件、インド洋大津波、イラク駐留米軍や大統領選挙を取材。09年4月からはカイロに勤務し、11年1月に始まった中東の民主化要求運動「アラブの春」をチュニジア、エジプト、リビア、シリア、イエメンで目撃した。東京での中東、米州担当デスク、2度目のワシントン特派員などを経て2019年5月からデジタル報道センター。日本社会と外国人住民やLGBTなどの今後に関心がある。 11/30 国連、国際法から見た武力紛争、避難民と和平  本年2月24日にロシアがウクライナに侵攻して以降、欧米諸国をはじめ様々な首脳がロシアのウクライナ侵攻は「国際法違反」であるとの声明を出しています。しかし、一口に「国際法」といっても人権、環境、刑事、貿易、紛争処理、安全保障等々、様々なルールがあります。具体的にロシアのいかなる行為がいかなる国際法に違反しているのでしょうか。また、ウクライナの行為は国際法に照らしてどう評価できるでしょうか。 さらに、和平の在り方についても考えなければなりません。国際法上、ロシアの侵攻の結果生じた損害や避難民といった問題は、いかなる場で、どのように解決されるのでしょうか。 この講演会では、国際法の観点から、「自衛権」「武力紛争」「(避)難民」といった基本的な規則に照らして、 武力紛争時におけるロシア及びウクライナの行為の法的評価をするとともに、和平に向けて紛争当事国や第三国、国連が果たす(べき)役割について検討します。 (コーディネーター) 政治経済学部 准教授 鈴木詩衣菜 講演会概要 日時:2022/11/30(水)  10:40-12:10 場所:聖学院大学チャペル 講師:広見正行 氏(神戸市外国語大学 准教授) ~講師プロフィール~ 上智大学大学院法学研究科博士課程単位取得満期退学。博士(法学、上智大学)。神戸市外国語大学国際関係学科・准教授。専門は国際法(安全保障法、武力紛争法)。国際的武力紛争における休戦協定や平和条約の研究をしてきた。 1/18 難民を取り巻く 世界の潮流と日本の課題 ~シリア、アフガニスタン、ウクライナの事例から  難民支援については、ヨーロッパを中心に、2015年のシリア危機から「難民危機」とも呼ばれる事態が起き、もはやそれまでの体制や方法では対応することができないという危機意識が生まれていました。そして、2018年には、国連総会においてGlobal Compact on Refugees(GCR)が採択され、従来の「伝統的な」難民支援に加え、新たなアクターによる新しいアプローチが推奨されました。大学をはじめとした教育機関、難民の雇用や先進的な技術を使った企業などが、新たに難民支援の表舞台に立つことになったのです。日本においても、それに呼応する動きとして、シリア難民を留学生として受け入れる枠組みを、政府のみならず民間 でも始めることになりました。「難民に冷たい」と言われてきた日本において始まったこの動きを詳しく解説するとともに、ウクライナ(避)難民の受け入れの状況を中心に、今後の日本における難民保護のあり方を、参加される皆さまとともに考えたいと思います。 (コーディネーター) 政治経済学科長・教授 春木育美 講演会概要 日時:2023/1/18(水)  10:40-12:10 場所:聖学院大学チャペル 講師 石井宏明 氏一般社団法人パスウェイズ・ジャパン(PJ)理事一橋大学国際・公共政策大学院 非常勤講師 ~講師プロフィール~名古屋市出身。慶應義塾大学商学部を卒業後、豊田自動織機製作所に入社。約6年の勤務を経て、米国モントレー国際大学院大学に留学、MA(修士号)を取得。帰国後、1995年にアムネスティ・インターナショナル日本に入職後、ピースウィンズ・ジャパン、難民支援協会(JAR)とNGO/NPO畑を歩み、現職のパスウェイズ・ジャパン(PJ)に至るまで一貫して、国内外の難民支援に携わる。東日本大震災被災者支援にも関わり、現地のNPO立ち上げ、運営支援などにも従事。現在も多くのNPO法人等の役員を務める他、一橋大学にて非常勤講師「市民社会論」を務める。 アーカイブ配信【申込制】 アーカイブ配信をご希望の方は、予約制でご案内しています。 *アンケートにご協力ください 講演の感想など、どうぞお寄せください。 聖学院大学へのアクセス/バスのご利用 聖学院大学へのアクセスはこちら 交通アクセス お問合せ 聖学院大学 入試・広報課  埼玉県上尾市戸崎1-1 TEL:048-780-1707 関連情報はこちら
【江東区】江東区の名前の由来は? – 高野はやと(タカノハヤト) | 選挙ドットコム

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【切り抜き】高野はやと「江東区の名前の由来は?」 #江東区 #東京都 #由来...
全国に7つある「旧帝大」に序列はあるのか…北海道、東北、東京、名古屋、京都、大阪、九州の「政治的な位置付け」 そもそも、戦前の「旧帝国大学」は9校あった | PRESIDENT Online(プレジデントオンライン)

全国に7つある「旧帝大」に序列はあるのか…北海道、東北、東京、名古屋、京都、大阪、九州の「政治的な位置付け」 そもそも、戦前の「旧帝国大学」は9校あった | PRESIDENT Online(プレジデントオンライン)

「旧帝国大学」とは戦前に設立された帝国大学を指し、現在では日本を代表する難関国立大学となっている。評論家の八幡和郎さんは「1886年に最初の帝国大学が東京に設立され、これを唯一の帝国大学にすることが模索されたが、立身出世に燃えていた時代だったので、結局は全国各地につくられることになった」という――。 「地元の旧帝国大学」が人材流出を防いでいる 進学校の高校が大学受験の合格者を競うとき、東京大学合格者や東京大学・京都大学合格者の合計が話題になるが、大都市圏以外では、旧帝国大学合格者数が基準にされることが多い。 たとえば、東北地方を見てみると、人口が多い宮城県を除く青森、岩手、秋田、山形、福島の5県では、東京大学の合格者数は合計36人だが、東北大学の合格者数はその10倍以上の479人に上る(2022年度)。北海度における北海道大学、九州地方における九州大学も似たような傾向がある。 しかも、山形県の場合だと東京大学合格者は3校からしか出ていないが、東北大学には11校から合格者を輩出している。一握りのトップ層は東京大学や京都大学を目指すものの、一般の生徒たちが目指す「頂点」は東北大学であり、人材流出のダムの役割を果たしているのだ。 ところで、この旧帝国大学がどういうものなのかを知っている人は、意外に少ないのではないか。そこで、この記事では、明治時代における誕生から終戦後に帝国大学という名称が消えるまでの歴史と、今日の姿を紹介したいと思う。 京城と台北を合わせて9校あった 戦前の帝国大学は、北海道、東北、東京、名古屋、京都、大阪、九州のほかに、京城帝国大学(現在のソウル特別市)と台北帝国大学があって「九帝大」だったが、国内にあるのは7校である。その枠組みが残っているのは、これらの大学の体育部の対抗戦である全国七大学総合体育大会で、「七大戦」というのが正式の略称だが、「七帝戦」と呼んでいる人も多い。 まずは、各帝国大学がどうやって誕生したかを振り返っていこう。 明治新政府は、維新から間もない1872年に「学制」を制定した。フランス法学者で文部省・司法省官僚の箕作麟祥が中心となっていたので、その内容は濃厚にフランス的なものだった。 これは全国を8大学区に分け、各大学区に大学校1校を置き、1大学区を32中学区に、1中学区を210小学区に分けて、全国に大学校8校、中学校256校、小学校5万3760校を置いてピラミッド式の整然とした秩序をつくるというものだった。 ただ、明治政府が最優先としたのが小学校教育の普及だったため、わずか3~4年の間に、2万6000ほどの小学校が設置され、これが地方自治の最小単位にもなっていく。

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